タイタンの妖女


古いSFを読みたいと思って手にしたカート・ヴォネガットの「タイタンの妖女」を
ようやく読み終えた。



しかまあ、なんというか、楽しみ方がいまいちわからない。


いや、壮大なスケールなSFではあるし、面白かったんだ。
ストーリーの底に流れる諦観のような空気とか風景描写とか見事だなぁとか、
「時間漏斗的曲線」の説明の仕方がウイットにとんでるねとか、
火星編冒頭の急展開や水星での別れのシーンとかは実際引き込まれたんだけれども、
読み終わって出た言葉が「お、おう」だったのは正直な感想。


この時代のあちらの人にとっては、神様ではなく、別の何者かに利用されるために人類文明が育てられたというのは、そこまでセンセーショナルなことなんだろうかと文化や時代の違いを感じたような(あ、ここネタバレ)。あるいは作者の戦争経験なのかな。


しかし「だれにとってもいちばん不幸なことがあるとすれば、それはだれにもなにごとにも利用されないことである」というセリフにあるように、それらを決して否定しているわけではないから、まだ感情が追いついていかないんだろうとも思う。書き方が中立で、読者に委ねている感じ。がっつり「ちくしょー」って言ってくれれば納得もできるんだけど。



誰も世界(未来)は変えられない。だから周囲の人を大切にして、その中で喜びを見つけて生きていこう。


そんなテーマを示されると、いーや、世界(未来)は変えられるんだ! そんな枠の中で満足できるかこんちくしょーと思ってしまって達観できないのは、まだ俺の心が若いということなんだろうかね。

こんなことを書いていたらラーメンズの「無用途人間」ってネタを思い出した。「僕にしなきゃいけないことをください!」ってネタなんだけど。



しかしタイタンの妖女っていうから、妖女が出てくるの期待してたんだけど、
そのあたりはサラッと流されちゃった感じ。
なんでこんなタイトルになったんだろう?